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ひとり言 2023.04.11

本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)

この考えは、神仏習合思想の一種で、神は仏が世の人を救うために姿を変え、この世に現れたとする神仏同体説に基づいています。またこの考えは、「法華経」の本門・迹門の教えから着想を得たものとされています。この「本地垂迹説」の影響を最も受けていたとされるのが、熊野です。日本の八百万の神々は、実は様々な仏の化身(権現)という考えから、熊野の神々は熊野権現と呼ばれてきました。それ故に熊野本宮の主祭神(スサノオノミコト)は阿弥陀如来と同じ位置付けとなっているのです。またこれは阿弥陀如来(本宮)は来世の救済、薬師如来(新宮)は過去の救済、千手観音(那智)は現世の利益を司るという教えにもなっています。同じように吉野山の金峯三寺の本尊・蔵王権現も、役行者の念力で釈迦如来(過去世)、千手観音(現世)、弥勒菩薩(来世)が権化され、過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済の祈りで出現したと考えられているのです。そして熊野三山は、これまで多くの山伏(修験者)にとっての修行の聖地であったことから、全国三千もの熊野神社の普及にも、山伏たちが大きく貢献したようなのです。時代が再び、神と仏の融合を求めているようで、そのことが色々影響してきそうです。

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