ひとり言 2022.07.01
私の思想理念は、凄く単純明快で「神武天皇~天皇制~日本の魂」の三つ流れから根本が成り立っています。今日は神武天皇に対する見解を簡単に述べたいと思います。それは日本民族の誇りや歴史を考える上で、日本民族史上最も重要な起点と考えています。そして天孫降臨の時は、弥生時代だったのですが、その時はまだ文字が発明されておらず、語り部の語りによって歴史は口伝伝承されていたということです。しかしながら、一部の歴史学者は神武天皇の神話を、天皇制を正当化するための作り話と言います。そんな訳ないだろうというのが率直な私の感想です。文字のない時代の語り部は、歴史を伝承するために命がけで語り、語り部としての使命を果たすには非常に聡明な人間性が要求されていたに違いないからです。それ故に語りで受け継がれた神話には、歴史の真実が秘められており、正しく顕彰する必要があるのです。だから私は、神武天皇の神話をくだらない話とかたずける人とは、心を通わすことはないのです。なぜなら神話を否定するということは、「日本の魂」を否定することに等しいからです。また違う視点で言うと、語りが歴史の真実を伝えるなら、地方に行けば語り、口伝、方言は沢山あります。つまり、そういったものから、郷土の歴史を顕彰して郷土愛、郷土の誇りを学ぶべきと思います。そして郷土愛、郷土の誇りをそのまま民族の誇りに昇華させようというのが、神武天皇の神話から読み解くことができます。さらに神武天皇とは何かと、深く追求すると弥生時代の前の縄文時代まで遡る必要があり、そこに天孫降臨の原形が存在していると考えます。その役割を担っているのは考古学者なので、自分なりに勉強してこれからも分析していきたいです。ここでようやく私の考えと、幸野大先達の考えの一致が見受けられます。幸野大先達は松江城の裏歴史を、口伝を通して顕彰し、鎮魂の祈りと様々な実践によって松江の発展に尽力されています。松江の発展が日本の発展に繋がり、最終的には世界平和の発展に繋がるという信念が、まさに民族の誇りに繋がるのです。私は山伏ではないので、幸野大先達のように険しい山道を歩けません。しかし目指すべき山頂は同じだろうと考えています。それが松江市ゼロ磁場での出会いだったのでしょう。それでは7月3日の護摩祭りでお待ちしています。