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三島由紀夫 2022.09.03

殺人者 その2

三島事件を解説した記事の概要を簡単に説明します。この筆者は、三島由紀夫を「自分の主張を通したいが為に、手段を選ばない大変身勝手な犯罪者であり、人殺しである」と激しく非難しています。その理由についての話ですが、あの名演説を行う前、まず三島由紀夫は楯の会会員4名を引き連れて1970年11月25日午前11時に、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪問します。そして事前に予約が入っていた益田兼利総監と面会し、そこで持参していた日本刀(関の孫六)を使い、見事に総監を拘束し室内に立てこもります。そして本館玄関前に集合させての演説を要求します。同時に、妨害すれば総監を殺害し自決するという脅迫もします。これは立派な犯罪行為であり当然、異変を察知した幕僚たちはバリケードを破り、総監室の奪還を試みます。ここであろうことか素手や木刀で応戦しようとした幕僚たちに、三島さんたちは容赦なく日本刀や短刀を使い重症を負わせます。筆者は、当然ながらこの行為を殺人行為と強く断罪しています。結局、三島由紀夫の要求が通り、あの全身全霊で行った歴史に残る名演説をした後、彼は武人として、人生の終演を迎えます。そして解放された総監は、何と三島さんの亡骸に正座をし手を合わせた後、事件の首謀者たちに対して冷静に自首を勧めたのです。しかしこの偉大なる人格者は事件の責任をとって退任をし、その2年後に逝去されます。御年59歳でした。筆者は、逝去のキッカケを作ったのは、明らかに三島由紀夫であり、これも強く断罪しています。その上、残念なことに世界的有名な作家でもある三島由紀夫には、熱狂的ファンがいて、それがさらなる悲劇を生んだのでした。つづく

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