「特攻隊」 2022.08.26
「特攻隊」の特攻行為を「代償を求めない純粋な行為であり、権勢欲とか名誉欲などなく、祖国を憂える尊い熱情があるだけだ」といった、大変ピントのずれた内容が書かれた本があったので、自分の意見を述べようと思います。特攻行為を単純に美化して、感情の世界だけで解釈しようとする行為は、歴史という現実を無視する行為で、その瞬間だけ感情を揺さぶられて終わるだけです。「特攻隊」が持っているドラマ性(悲劇性)を、私自身は肯定的にも捕らえており、そのためにも、歴史が持っている現実性をしっかりと直視する必要があります。それでようやく、今という現実に生きている我々に対して、生かすことが可能になると思っています。そもそも特攻行為自体が、代償を求めない純粋な行為な訳ないです。私は以前、真の特攻行為とは、「己の死を最大限に生かそうとして最大限の成果を得ようとする行為」と言っていましたが、言い換えれば「小型戦闘機一機で、敵戦艦を沈めてやろうという非常に強欲な行為」であり、「犬死に覚悟が必要な残虐行為」でもあります。それ故に、特攻行為に儚くもある種のドラマ性を感じてしまうのす。そして、当時このような戦法は、日本の独自文化の発想力の中からしか生まれませんでした。但し、これをやるには条件があり、己の強靭な主体性の中にある誠の心から生まれた、純粋な己の意思によって、実行に移す必要があるということです。別の言い方をすると、この途轍もなく強欲で強烈な残虐性が、美しくも衒いが全くない崇高さの中にある、混じりけのない尊い意志を求めてきたのです。要するに、真の特攻行為に置いては、殉教や狂信や洗脳など、あってはならないということです。そして「特攻隊」の真実に迫るには、特攻行為を、物質的現象で考えたり、量子の世界でも考え、精神的現象として分析する必要性もあるということです。つづく