思うこと 2025.09.03
先日アフリカ・ホームタウン問題で、ナイジェリア人と日本人のハーフであり、インフルエンサーの細川バレンタイン氏の動画が非常に分かり易くて見ていました。その中で核抑止についても自論を述べていました。要するに、核保有とは他国からのリスペクトを得るために必要だと言ってます。最初は要領を得なかったのですが、リスペクトの日本語訳での一般的解釈は尊敬ですが、世界的には畏怖という意味合いが強いそうです。それなら理解できますよね。日本が本当の意味で他国から自立するためには、この畏怖は必要に思います。ですから色んな観点に立って、タブー視されていることを包み隠さずに、国民目線で語り合うことも必要と考えます。これはあくまでも国防と言う視点から述べているものであって、同時に恒久的な真の平和を追い求めるのも日本人の使命であると、個人的には力説したいです。つまり戦争というものを被害者と加害者を分断した状態で考えたなら、被害者と加害者の領域における境界線が意図的に設けられ、戦争は損得勘定のゲーム世界から永遠に脱皮できないと考えます。その根底にあるのが、人間性というのは本来非常に危うい存在であるのに、ヒューマニズムという観点から人間性を一方的に尊重し続けてきた歴史です。つまり人間性の中には良心や道徳心など崇高な精神性は確実に存在していますが、それと同時に野蛮な動物的本能(狂気)も確実に存在しています。ですから行き過ぎたヒューマニズムが人間性の光の部分だけを見続けた結果、闇の部分はひたすら影となって腐敗し続け、闇の勢力の儀式に利用されるに至ったと考えています。例えばこれも人気インフルエンサーの動画で、東南アジアでの日本人富裕層の児童買春の実体が暴かれていました。これも人間性の分断により引き起こされた、影となった人間性の腐敗の縮図を象徴しているかのようです。ですからこの人間性の中にある崇高さと狂気を合一しない限り、人間性の矛盾が常に現象化し、その結果として戦争や自然災害は、これからも起こり続けていくと考えています。次回へ続く。