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思うこと 2023.03.14

戊辰戦争 その2

今この時期に、戊辰戦争について考えることは意味があると思っています。もちろん日本の重要な歴史であるとともに、今のロシア・ウクライナ戦争に通ずるものがあるからです。戊辰戦争と言えば、時代物の映画等での印象が強く、最新型の新政府軍vs侍の旧幕府軍の戦いであり、旧式の幕府軍が一方的に破れ、武士らしく死んでいった物語のように捉えていたのですが、事実は全く異なるようです。新政府軍にはイギリスが旧幕府軍にはフランスが支援しており、新政府軍は苦戦を強いられていました。そこでイギリスが策に打って出ます。イギリス主導の6か国による「局外中立」により、アメリカ最新型の軍艦の旧幕府軍への引渡しも凍結となってしまい、徳川慶喜は新政府への恭順を決意し1868年5月江戸無血開城します。そして戦いは、新政府軍vs奧羽越列藩同盟へと突入します。「局外中立」のため、表立っては支援出来ません。そこで活躍したのが武器商人たちです。アメリカ南北戦争で活躍したエンフィールド銃や破壊的な兵器であるガトリング砲などの武器が、列藩同盟に流れていたようです。つまり戊辰戦争とは、様々な勢力が日本で自由に売買できる武器市場を通して、まさに世界の動きと結びついた戦争だったようなのです。戦いは最終局面を迎えます。蝦夷・函館沖に徳川残存勢力が集結しています。そこで新政府軍に立ちはだかるのが、オランダ製の世界屈指の攻撃力を誇る軍艦(開陽丸)です。この艦隊を率いるのは、榎本武揚です。苦戦を強いられた新政府軍が考えた策とは、旧幕府軍へ引渡し凍結していたアメリカ製の最新型艦(ストーンウォール)の購入だったのです。このストーンウォールの出現により、皮肉にも戦局は大きく変化し、遂に榎本艦隊は壊滅させられ降伏に追いやられます。そしてこのストーンウォールにはイギリス人たちが乗り込んでいました。こうして1年5か月に及ぶ戊辰戦争は新政府軍の勝利で幕を閉じます。最後に榎本武揚の言葉を紹介します。「我らは、薩長に負けたのではない。イギリスに負けたのだ」

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