ひとり言 2022.07.11
宗教団体の名前を伏せていますね。この世は、お金の力で全てが動いているものですから、生きていくには、本音と建前の概念が常に必須であり、ですから世界平和や思いやり、救済といった聞こえのいい言葉の力を最大限に発揮している宗教団体は、お金を集める力も凄いのです。ひたすら自分の理想を追求できる生き方ができる人は置いといて、妥協点を模索しながらの人生ですよね。特に政治は、妥協だらけの産物であり、一歩進むにも物凄い労力を必要とするので、最終的には前進するのか、後退しているのか一般大衆には非常に見えずらいですよね。もちろん妥協するにも、絶対に妥協できない部分(信念のようなもの)がお互いあるから成り立ち、妥協点を見い出すのも命がけですよね。自分に置き換えてみると、目の前で他人の理不尽な言動に直面すると圧倒的な怒りで対抗しようとしてしまいます。状況によりますが、この人は僕にこんな態度が取れるから、弱い人には、もっときつく当たってるに違いないと勝手に思ってしまい、自分勝手な正義感も怒りに上乗せしてしまう傾向があります。ただ怒りを感情に任せて相手にぶつけると、それはただの悪口になるので、あくまでも人としての道を説くがのごとく、感情のぶつけ合いではなく、道徳的な圧倒的自己主張をしながら徐々に妥協点を見い出そうとします。ただ表の理屈が通用しない人に、これをやると何十倍の怒りを逆に食らいますので、相手を見て判断することは非常に重要なってきますので、皆様はくれぐれも気を付けてください。SNSの普及で以前より本音をさらけ出しやすくなりましたが結果、他人の誹謗中傷に繋がり社会問題になっています。しかし諸悪を暴いたり、自分の身を守ったり大変有効ですので、使う側には一定の道義性を必要とします。話を戻しますが、この世がお金の力だとしても、公正さや真実をマスコミには、期待したいですね。それが不可能ならば、我々市民が真実を見極める目を養う必要があるということです。