慰霊碑 2023.05.09
昭和17年5月21日午後4時ごろ、市立運動場で行われる航空青少年隊の結成式の祝いの飛行中、不慮の事故に遭い部下を助けた後、宍道湖周辺の被害を最小限に食い止めるべく、人里離れた国屋町の山林に機体もろとも激突し殉職されました。福島中佐、享年34歳です。今日は年一回の慰霊碑参拝の日です。ゼロ磁場の有志からなる総勢4名で、お参りに向かうことになっています。今日は、残念なことに雨模様です。そんな中、中佐の機体が炎上している状態を見つけ、山林に激突するまでの一部始終を目撃していた、まさに歴史の生き証人である御年85歳の田中さんもご同行されています。田中さんがまだ5歳の時の出来事なのですが、中佐の激突シーンや事故現場周辺に機体の破片を拾いに行
った記憶などが、今もハッキリ残っているそうです。田中さんにとっては、約80年ぶりの中佐との再会です。しかしその前に、いくら小さな里山とは言え、容赦なく竹藪が我々の行く手を阻みます。そして皆で協力し合い何とか中佐の慰霊碑に辿り着いたのです。一年ぶりの再会ですが、雨降りにもかかわらず、まるで後光がさしているかのようなお姿(慰霊碑)に全員感銘を受けます。毎回不思議に思うのですが、慰霊碑付近には竹が生えないのです。今日も優しくも威厳たっぷりに、中佐は我々を出迎えてくれています。何よりもこの再会を一番喜んだのは、もちろん生き証人でもある田中さんです。そしてその時の記憶を皆で共有しながら、念入りにお経を唱え、中佐の慰霊碑が松江の宝になる事を願い、無事にやり遂げることが出来たのです。当時は軍事機密を守るため、公にされていませんでした。しかし今、真実が明るみになり出しているようです。改めて、この偉大なる大先輩にお礼申し上げ、今日という充実した時間に感謝しました。