三島由紀夫 2022.10.28
当時、学生とのディスカッションの中で、三島さん自身の死生観について語っており、その続きを自分なりに分析しようと思います。そこで20代の死生観について、第二次世界大戦中について語っていましたが、明日死ぬかもしれない状況下で生きることは、本当に幸せだったと無邪気に言っていたのを私は、はっきりと覚えています。これは、私が全く理解できない価値観ですが、三島由紀夫として覚醒する前の平岡公威の本質的な自我が語っており、この純粋なるものを、三島さんは死ぬまで大切に育んでいったのだと思っています。これを「戦時中の本質的自我の目覚め」と表現してみよう思います。30代の死生観では、太宰治の入水心中を理想的と語っており、これを「文人としての自我の覚醒」と表現してみようと思います。40代の死生観では、西郷隆盛の死を理想的と語っており、西郷隆盛の死自体、非常に興味深いのですが、分析は別の機会にして、今回はこれを「武人としての自我の覚醒」と表現してみようと思います。そして三島由紀夫を三島由紀夫たらしめるものは、単純に「天皇」だったので、この「天皇」を中心に3つのキーワードを当てはめて、市ヶ谷駐屯地の割腹自殺を考えてみたところ、また興味が湧いてきたのです。 つづく