思うこと 2022.10.31
1944年3月8日にインパール作戦が始まり、その3ヶ月後には、1万人近くが命を落とし作戦中止となったわけですが、その時の撤退路を「白骨街道」と呼んだのです。太平洋戦争で最も無謀と言われたこの作戦は、軍上層部の無能さが生み出したものですが、一度決定したものは、例え現実とのギャップが生じても顧みられずに、妄想的な精神論がそのギャップを埋めれてくれるはずという、当時の日本人独特の気質が、正しい判断を鈍らせて、さらなる悲劇を構築していったのです。つまり戦死者の6割が、作戦中止後に命を落としたという現実が、この歴史を物語っています。補給路を断たれた、この「白骨街道」での悲劇は、まさに地獄絵図のようで、弱った兵隊が密林の猛獣に食われたり、または同じ隊員同士で殺し合い、その肉を奪い合って食べるという、本当に生き地獄だったのです。ここで日本の最終防衛ラインである首都ラングーン死守を命じられていた若井少尉の証言によると、高級将校たちは命令を下す一方で、連日の芸者遊びに明け暮れていて、それを目の当たりにした最前線から帰ってきた兵隊たちは、涙を流して堪えるしかなかったそうです。その上、ラングーンを死守するのが不可能と思うや否や、最前線の兵隊や民間人には防衛を命じておきながら、高級将校たちは彼らを置き去りにして、真っ先に逃げたのでした。いつの時代も権力者の矛盾を押し付けられたのは、最前線で戦う人たちなのです。しかしながら、今こそ我々は真実を知る勇気と見る目を養う時が来たのです。さすれば、彼らの魂の叫び声の中にも、天の声が宿って入ることに、きっと気が付くことでしょう。