三島由紀夫 2022.07.05
私は昔からこの言葉に、ある種の嫌悪感を抱いていました。この言葉の行き着く先に、行き詰まり感が感じられ、最終的にある種の思考停止状態に陥るからです。しかしこの「自己犠牲」という言葉は、日本の美意識であったり精神文化だとして、昔の漢たちは、好き好んで使っていたように思います。まさにこの言葉を信用して、その魅力に洗脳されてしまったのが三島由紀夫に思います。その言葉の魔力に己の自己愛を重ね合わせ、ある種の行き詰まり感とある種の思考停止状態に陥りながら、あの陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の割腹自殺を、見事にやり切ってしまったのです。話は変わりますが、私が三島さん同様に大変尊敬しているのが「特攻隊」です。「特攻隊」は、「愛する国を守るために、自らを犠牲にした人たち」という認識だったのですが、大きな間違いだったのです。彼らは、己の生命を最大限に活用しようという純粋なる意志のもと、自らの戦闘機が敵戦艦に突っ込み、己の生と死の極点に辿り着くまで己の思考をフル回転させて、己の死を最大限に生かして愛する国を守ろうとしたのです。そしてそれが特攻行為の実体だったのです。つまり自己犠牲ではなかったのです。いずれ「特攻隊」については、時期が来たら詳しく語ろうと思います。そこで私が敬愛する「特攻隊」と三島由紀夫とを比較すると、どうしても私は、三島さんを一刀両断したくなるのです。つまり三島さんが死んで50年以上経ちますが、未だに三島さん以上の漢が日本に現れていないのです。要するに、三島さんの志や思想理念は大変素晴らしいから、生きてもっと多くを体現していただきたかったです。というのが私の一つの見方です。また別の見方もありますので、また今度語ります。大変私の拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。またお待ちしております。