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三島由紀夫 2022.09.10

殺人者 その4

つまり三島由紀夫の本質は、偉大なる文学者であり、基本的に一文人に過ぎないと私は考えています。そう考えてみると、この一連の悲劇を生み出した原形も、三島文学の一作品に過ぎないという例えも可能になってくるのです。要するに、脚本、演出からキャスティングまで、この偉大なる文人にとっては容易いことなので、この歴史的名演説の舞台上を、見事に自作自演で完成させることも可能だったのです。そして、この文学作品に置いては勿論、主役は武人三島由紀夫であり、この偉大なる文人は、この役を見事に演じて見せたのです。しかし、この武人三島由紀夫の一連の行動の筋書きには、二つ意味が込められており一つ目は、三島由紀夫自身の理想的な死の美学を完遂する唯一の手段であるということです。そう考えてみると、三島由紀夫という人間が、名刀関の孫六を巧みに使った文字通り、最後の命懸けの三島文学を演じ切り、見事に作品として完成させたということになります。これはあくまでも功罪を完全に度外視した、言わば文学世界の価値観であり、現実世界の話ではないのです。故に現実世界の価値観で考えると、これは多くの被害者と犠牲者を生み出した、とんでもない事件であり、筆者が言うように三島個人の究極のナルシズムに付き合わされた、言わば悲劇的な茶番の極みなのです。しかし残念なことに、武人三島由紀夫には、もう一つの意味が込められていたのです。つづく

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