思うこと 2023.05.16
熊野別当とは、9世紀から13世紀後半にかけて熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を統括する役職であり、熊野水軍などの軍事組織の長でもありました。熊野別当で最も有名なのが、平安時代末期の第21代熊野別当の湛増(たんぞう)です。源平合戦も佳境を迎えたとき、どっちを味方するか、田辺の新熊野神社(現;闘鶏神社)で占い、神意を問います。そして赤白の鶏を戦わせたところ、全て白の鶏が勝利したので、湛増は源氏に味方したのです。湛増は約200艘の熊野水軍を率いて壇ノ浦に出陣し見事、平氏を壇ノ浦に沈め、源氏に勝利をもたらしました。義経の従者弁慶は湛増の子とされ、熊野には数ヵ所にわたり弁慶誕生の地が存在しています。そして熊野水軍の流れを汲んでいるのが、雑賀衆です。そして我らが井上先達は、清和源氏の末裔です。そしてお住まいは雑賀町にあります。