「特攻隊」 2022.08.31
当然、軍国主義全盛の時代に、個人の意志が尊重される訳ないので、心の真実は誰にも分かりません。ですから命令され、ただそれを受け入れ多くの方が特攻行為の中で散華されて逝きました。そして、この方たちにとっては、特攻行為とは純粋に命令即死の行為であり、この壮絶な死を受け入れるのは、想像を絶する葛藤に耐えながらの行為だったと思われます。それ故、この偉大なる大先輩たちを偉大なる「愛国の士」であり、偉大なる「軍国主義の犠牲者」と私は表現します。彼らは「天皇万歳」と唱和して体当たりしたとしても、その内実は、愛する、家族、人、故郷に想いを馳せながら散華されたに違いないと推察します。そこで特攻行為の残酷性を表現するのに、陸軍特攻最強部隊と言われた藤山隊の例を挙げようと思います。古武士の風格、操縦技術抜群、責任感強く人格円満、当時「軍人の鑑」と賞された藤山隊長率いる藤山隊は、平均200時間と言われていた飛行時間に対して、何と800時間もの飛行訓練を要したと言われています。結果、急降下爆撃、跳飛爆撃、艦船爆撃、夜間飛行等、断トツの熟練度であった藤山隊が、何故か空しく散華されました。一番の理由は、故障機による特攻を余儀なくされたことです。このボロボロの飛行機に何百キロも爆装されれば、当然よちよち飛行になる訳で、敵戦闘機と遭遇すれば一溜まりもありません。それ故に特攻機には、必ず護衛機が作戦上必要なのです。有ろうことか、軍部はこの最強の特攻部隊に護衛機を全く与えなかったのです。最後に藤山隊長が部下に対して「もはや黙って死ぬしかないだろう」と言い放ったエピソードがこれを物語っています。まさに特攻行為の内実には「犬死に覚悟の残酷行為」が確実に含まれているのです。藤山隊長の無念さを推し量ると、私の目頭も熱くなります。しかしここで思考を止めてしまえば、真の特攻行為、真の「特攻隊」には到底辿り着けないのも事実です。つづく