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思うこと 2022.09.02

とある高校教師

性的マイノリティであり既婚の男性教諭の話をたまたまTVで見ました。この方は、いわゆるゲイであり、勿論この方の恋愛対象は男性になる訳です。しかしこの方の性的特徴に置いて身体的な違いは、そこまでこだわりがなく雰囲気の方が重要であり、男性的な雰囲気であれば恋愛対象として成立するタイプだったのです。一方、この方の女性パートナーも、性的マイノリティであり、いわゆるトランスジェンダーです。この女性の場合は男女という明確なカテゴリーが、そもそも存在せず、好きになる対象が純粋に人間なのだそうです。そして、この女性の見た目は、如何にも男性的でもあり、男勝りとも言えるのではないでしょうか。何が言いたいかというと、お互い性的マイノリティでありながら、この奇跡的に巡り会えた二人は、世間的にも身体的にもいわゆる一般的な夫婦のカテゴリーに属しているのです。ですから、ここまで上手くやっている二人にとって、自ら告白さえしなければ、性的マイノリティに属す必要がないのです。しかしそれでは、番組が成立しないので、この男性教諭の目的はどうあれ、何と最後に教え子たちに告白をするのです。トランスジェンダーの意味すら知らなかった小生にとって、この行為は大変破廉恥に映り、教え子たちの動揺は幾ばくかと、こちらも動揺しながら見ていました。結果、内容は割愛しますが、心温まるヒューマンドラマがそこにはありました。生徒たちの方が、私のような中年男性より意識が進んでおり、各々が所有している個人的な心の葛藤を、無意識にお互いが投影し合い、クラス全体が心の共有で満たされ、それを見て破廉恥行為と勘繰った己の心を恥じました。この教師は、告白して楽になりたいという欲求よりも、多感期な少年少女に対して、先生と生徒の関係性よりも、同じ人間として同じ目線で彼らに寄り添おうとしていたのでしょう。

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