ひとり言 2022.07.13
昨日たまたま、知識階級の人たちの不愉快なディスカッションをユーチューブで見たので感想を書きます。彼らが言うには、日本はエリートを育てないで、むしろエリートを排除してきた結果、愚民ばかりが育ってしまったことを嘆いておられました。言葉の価値とか意味合いは、時代とともに変わり、エリートという言葉も、その時代が求めている価値観を踏襲していなければ意味がありません。ましてや一部の知識階級の狭いカテゴリーからエリートとは何か定義されても、それはただの机上の空論です。今の時代が求めている人間とは、主体性を持って自分の志や思想を実践でき、それによって世の中により良い変化をもたらせる人間なのです。それができうる人は、覚悟があり、自分の殻を絶えず打ち破り前進できる人なのです。知識階級の彼らの言霊には、覚悟がなく人の心に全く響きません。いくら民族主義など精神文化など日本の伝統的社会を守らなければならないと日本の未来を憂いてみせても、それはただの上っ面でございます。そういう人に限って他国に攻められると、真っ先に逃げる心の持ち主です。そんな人間の愛国思想など信用できるはずもないのです。いつの時代もエリートと呼ばれる人たちは、愚民に矛盾を押し付け、最前線へと送り込んできました。沖縄決戦などが、いい例だと思います。最前線で戦った人たちは、どれだけの苦難と矛盾に耐えてきたことか。しかしエリートたちが彼らが言う愚民に、長い年月、苦難に耐えさせてしまったことが、ある特権を与えることになります。それは人の痛みを心から理解できる力です。このことを理解できないのが、エリート階級の特権です。今の時代において、人の痛みを理解できないエリートなど必要とされないのです。沢山の苦難に耐えてきた人間の中から、世の中のために自分の思想理念を体現し、実践できる人間がやがて全国各地に現れてきます。その彼らの集合意識が、新たな日本の民族意識の再構築に欠かせないのです。それは、まさに愚民意識の中からであり、エリート意識からは決して生まれないのです。逆に言えば、それだけ今の日本国は危機に瀕しているとも言えるでしょう。