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三島由紀夫 2022.09.21

殺人者 その5

すなわち、この究極のナルシズムである理想の死の美学を実践するためには、武人三島由紀夫という演出が必要だったいうことです。そして、この演出に欠かせない小道具が、何とあの偉大なる大義だったのです。しかしながら、この大義に対する行動は決して演出ではなく、本物だったと私は信じています。つまり、この大義に対する忠誠心は、彼自身の奥底に潜む、誠の心の中から探し当てたものであって、それは本物であると私は強く信じています。つまり三島文学の中に本物の武人が存在していたのです。それ故、あの名刀で貫いた壮絶な割腹劇とは、単なるナルシズムの象徴ではなく、大義に対する本物の決意であり、覚悟の現れだったと考えています。要するに、ある突出した思想の中に三島事件があり、三島事件の中に三島文学があり、三島文学の中に大義に殉じた本物の武人が、存在していたということになります。そして何と三島由紀夫は、前代未聞の究極的な文学作品を見事に完成させてしまったのです。言い換えれば、虚構の中に現実があり、現実の中に虚構があり、虚構の中に現実がまた存在していたということになります。この摩訶不思議な世界観の中で、三島由紀夫を人殺しと断罪した筆者は、一つの現実を見たに過ぎず、もう一つの現実が盲点になっていたと考えられます。しかし残念なことに、この現実を茶番ではなく、真実であると証明できる人間は、どこにも存在しなかったのです。つづく

 

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