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思うこと 2022.11.03

義経逃避行  その1

私は小さい頃から、源義経に興味があったことと、今「13人の鎌倉殿」が放送されているタイミングで、自分なりに考えてみようかと思った次第です。いみじくも義経は平家打倒に大きく貢献したのですが、その強さは疎まれ、その力は逆に危険分子と見なされてしまい、頼朝はとうとう義経討伐へと舵を取ってゆきます。そこで義経は、奥州藤原氏へ逃げ延び匿ってもらうのですが、不幸にも恩人でもある藤原秀衡が、直ぐに亡くなってしまいます。秀衡が息子たちに遺した遺言の中身とは、義経を奥州28万騎の大将として擁立し、鎌倉からの攻撃に備えよというものでした。しかし、嫡男である泰衡は秀衡の死後、頼朝の執拗な義経追討の圧力に屈してしまい、義経は泰衡の軍の不意打ちに合い、結局打ち取られてしまいます。義経享年30歳の出来事です。しかしながら、頼朝の真の狙いは、義経を打ち取ることではなく奥州藤原氏の滅亡だったのです。そして義経のいない軍などは全く怖さはなく、奥州藤原氏はあっさりと頼朝に滅ぼされてゆきます。ここで義経の一生を端的に考えると、平家に恨まれ源氏に嫌われ、最後は藤原氏を巻き込んで早死にしたという、大変気の毒な一生に思います。しかしここから、あの伝説が始まり「判官びいき」など多くの文化芸術に欠かせない存在となっていきます。そこで私は、義経ゆかりの地などを通して、義経の生身の実像を自分勝手に迫ってみようと思います。

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